回想録1(YCに入るまで)

履修感想もそうですが、この大学にいた時の記録も残しておこうとふと思ったので、思い出しながら書こうと思います。どこまで続くことやら…。

私は小中高と私立の進学校に在籍した。「お受験」をやっての入学。20倍近い倍率を勝ち抜いた私は当時神童と呼ばれる。(実話)
この学校、東大に最大時50人以上合格者を出し、今はそれでも30人前後の合格者を毎年出し続けてるいわゆる進学校

こんな学校なのに、校風は自由で、形だけは入試をするが成績は問わず「全員」高校までエスカレーター。(今は少し落としているらしい)その中で、私は内部進学者の典型例で勉強大嫌い組。
//とはいえできるヤツは内部進学者でも東大理Ⅲに現役合格したりする
常に成績は下から5本の指。最盛期には実力テスト英数国理社5科目合計104点。正答は選択問題のみ。高2の時には全国で逆1位を取る。(前日徹夜で本を読んで眠かったので名前書いて寝てた)ただし、中高皆勤賞。小学校も年に1回くらいしか休まない学校大好き人間。体育は他のクラスのも参加していたので週に7コマ。

そんな私も周りが受験するのでとりあえず受験してみることに。とはいえ勉強するわけもなく、毎日本を読んで過ごす。


当然どこも受かるわけはなく浪人。1年目は代ゼミ本科。いままで勉強しなかった人間が勉強するわけもなく、結局1年間だらだら本を読んで過ごす。勉強は…偏差値25が30になった程度。誤差の範囲。


浪人2年目。まわりの友達もほぼ全員進学。さすがにヤバイと思い勉強開始。第一志望はSFC(慶応大学湘南藤沢キャンパス)。
当時の生活サイクルは
※夜中勉強、朝に犬の散歩、朝食食べてそのまま就寝、夕方起きて犬の散歩、夕食食べて勉強、夜中2時くらいに犬の散歩(※に戻る)
当時1年近く髪を切らず、ヒゲもあまり剃らなかったので仙人のようになっていた。

英語の偏差値は30から65ちょっとまで上がる。SFCの受験科目は英語小論でOK。小論は読書のおかげかもともとできたので偏差値60はキープ。最後の慶大プレもA判定で、確実に受かるだろうと思ってたところ、不合格。英語に全精力を注いでいたので社会(世界史)は偏差値50ちょっと。早慶レベルは難しい。合格した大学の中で近さとSFCにカリキュラムが似ているYCに入学決定。もう浪人する気力は無し。

少し自暴自棄になってたのだが、「既に終わった人生だし何か残してやろう」と決意。目標を探しているうちに、
「全く勉強しなかった高校時代を反省して、一定のルールに乗っ取って、他人に認められることを大学時代にしよう」
と決意。
小中高進学校の私立に通ったあげく2浪してYCっていう時点で人生終わってるからあがけるだけあがいてやろうと。

私が決めた一定のルールに乗っ取って認められる…というのは「他人に負けないくらい勉強した証を4年間で得る」。
ただし、私は席次1位を取るだけの頭のよさは持ち合わせていない。だけど、その頭の良い人を超えるだけの努力はできるハズ。だから、時間をかけてでもルール上でその人を上回ってでやろうと思った。
それが「単位数学年1位」という目標。途中から200単位に変化したが。
好きとか嫌いとか関係なく、できる限り勉強し、広く、浅い知識を身に付けてジェネラリストになる。これは知り合いの影響も多々あるのだが…。

そんなわけでYCに入ったとさ。続きは…裏ポータルの経緯あたり。上の理由で書き溜めたノートは他人にも有益だったということです。

次回エントリーはあるのか…?