教育実習
英文科目名 | 担当 | 単位数 | 履修年度 |
---|---|---|---|
Practice of Education | 小池星多 | 3単位 | 4年(2006年度)前期 |
出席 | 試験 |
---|---|
事前講習:行う 教育実習:勤務表に記載される 事後指導会:行う |
行わない |
【感想】
英文科目名を直訳すると
「教育の実践」
である。まさしく、と言った感じ。
教職の集大成のこの講義。このために4年間、教職の授業を取ってきたといっても過言ではない。
私はとにかく教育実習に関しては受け入れまでが大変だった。
基本的に母校に受け入れをしてもらうのだが、私の母校に「情報の授業はやらない」と宣言されたので大学側(教職担当の高山先生(元)、小池先生)に色々と迷惑をかけたのだ。
私の母校は進学校なので情報に関してはレポート一発で、数学に振り返るらしい。そういえば家庭科も体育に振り替えたりしてたなぁ…。
情報教育法Ⅰのところでも少し書いたが、高田学部長(当時)と小池先生が受け入れ先になる高校に依頼に行ってくれたりした。
こうやって教育実習に行けるのも、教職担当の
小池星多先生、
高山緑先生(前担当)、
今期から担当になってくれた
櫻井武先生、事務を全て行ってくださった教務課の
やまなか さん、
そして今まで教職授業を展開してくださった
安田忠郎先生、
吉家貞夫先生、
中村和生先生、
井上健先生、
佐野守正先生、
吉岡有文先生、
笠井秀一先生、(シラバスの講義順)
に、この場を借りて心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
初めて受け入れ先の高校に伺ったのは昨年の6月下旬。そこで私の担当をしてくださる先生にお会いした。そこでいくつか質問をされた。
「君は教師になる気はあるのか」
と。
社交辞令でもいいから可能性があると言えばいいものの、どうしてもそういえない私の性格が最悪だと思った瞬間であった。
「今のところ、進路として教師は考えたことはないです」
次に、この質問。
「じゃあ、なんで教職課程を取ったの?」
当然の問いである。私の回答。
「私は、浪人するまで、勉強をしたことがありませんでした。小学校、中学校、高校と完全なエレベーターでのほほんと生きてきました。卒業して、浪人してはじめて今まで自分が受けてきた教育について考えました。もし、自分が真面目に勉強していたらどうなっていたのか。その受けるべき教育は、どのように構築されていたのか。それを確かめるために、私は教職過程を取りました。」
全くふざけたヤツである。それでも受け入れをしてくれたのは様々な多層的な決定によるものであろう…。付き合いって大事ですから。指定校推薦とか。
教育実習前。
とにかく提出書類が多い。4月のガイダンス時期に言われ、14日までに提出する書類が3つ。それも高校に自分で聞き、提出書類。
相手先の都合ですぐに提出することになったので風邪の身体をひきずって徹夜で書き上げた。
その後、5月上旬に高校による全体ガイダンス。基本的には事務処理的な話が主になった。
他に、大学の行事がある。
「教育実習事前指導会」
である。内容は字面の通り。
5月13、14日に行われる事前指導会に向けて教材、教案を準備会で3回かけ作成し、本番で現役の高校の教師(教育の方法と技術Bの吉岡先生もいらしたそうだ)や小池先生、櫻井先生や他の教職履修者に30分の模擬授業を行うのだ。
さらに、この時期になって発覚した病気のセイで緊急腸カメラ検査が入り、事前指導会も休むことになってしまった。
後で小池先生、院生の方に向けて30分の模擬授業をしたが…気まずかった。
しかし、これはかなりいいトレーニングになったと思う。
教案の書き方で、「台本を書くように書く」や、演習授業では「とにかく生徒の画面を見てまわる」「アプリケーションのおもしろさをまず伝える」ということがとにかく大事ということを知った。
学生の教案を見ると本当に内容が薄い。一言一句、一挙手一投足を台本に書き込むくらいが必要だと思った。
指導会に出席できなかったのは残念だったが、とりあえず最低限の準備ができた。これは真面目に取り組んだ方が絶対にいい。休んだ私がいうのもなんだが…。
さて、教育実習本番。
3週間の実習の人たちは既に学校入りしていた。ちなみに、私を含め大半のYC生は2週間である。
初日はとにかく学校の雰囲気になれるだけで精一杯。どのように実習を進めていくのか、見学や研究授業のスケジュールはどうするのか、受け持ちクラスの雰囲気はどうなのか、この期間中のイベントは何があるのか。
そういったことを考えたりするだけで一日が終わった。
実習中何よりつらいのが朝が早いこと。9:00から大学の授業はスタートだが、高校は8:20から職員会議。余裕を持って行くとなると8:00前には到着していなければならない。家から高校まで1時間かかるので、7時に家を出発。ということは起床は6時…。
夜は資料作成などをするので、とにかく眠い。2週間が限界です…。
私は事前に「教師になるつもりはない」と宣言していたので、指導教諭の先生が「じゃあ受け持ち授業は少なめで」と配慮してくださった。
普通はこんなことは絶対にありえない。本当にいい先生に受け持ってもらった。
そういうわけで実際に行った授業は研究授業を含めて3コマ。
その代わりと言ってはなんだが、課外活動に力を入れた。
私は茶道を習っているので、月曜日に行われている茶道部の稽古にお邪魔させていただいた。
私が習っているのは表千家流で、茶道部は裏千家流なので微妙なところは違ったりするのだが、それでも茶席で一服おいしいお茶をいただくことには変わりない。
教えている先生や生徒たちと、いい空間を共有できた。
2週間あったので2回目の稽古には着物を着ていった。かなり生徒にウケていた。男性で、他流派で、着物着て点前している姿なんて普通見ないからね。
それと、この高校最大のイベントである「合唱コンクール」。私の担当クラスは「タッチ」を歌ったのだが、一つのことに打ち込む姿を教師の立場で見られたことはいま思えば素晴らしい経験になったと思う。
コアメンバーである4,5人を囲んで、練習をする。朝練の回数を追うごとに上達していくのは本当に嬉しい。教師の醍醐味はここにあるのだろう。
結果、私の受け持ったクラスは1年生の優勝である「新人賞」を受賞していた。きっと、「タッチ」は一生忘れられない歌になるだろう。
クラス運営に関しては、はじめの3日間はクラス運営指導の先生にHRなどを見せていただき、その後は私が全部行った。
出席を取ることを重要視するので、生徒に席につかせる。この作業が実は結構しんどい。
そういえば、1つ興味深い出来事があった。原則的に出席は厳格に行うものだが、指導教諭が「とはいっても、トイレに立ったとか、1,2分遅刻した程度で全部"遅刻"にするだけでは、指導にはならない」ということをおっしゃったのだ。
遅刻は5回やると直接呼出し、指導する。それをやることが逆効果になることもありうるのだ。例えば、常習的に遅刻をする、欠席をする生徒にそれをしても学校に来ること自体が嫌になってしまう。
そういった事態にならないようにマネジメントすることもまた、教師の役割であるのだ。
私の指導教諭の先生は本当に親身になって生徒のことを考えている人だったので、話をしていてとてもためになった。
授業であるが、上述の通り、授業数は少なかった。とはいえ、情報の授業は1年生全クラスの必修授業であるので週に6コマ、2時間続きで行われる。それを3人の先生で担当するのだが、全ての授業に参加した。(私の授業指導教諭の先生はそのうちの1人)
3人の先生の授業に参加して思ったことは、三者三様、全くスタイルが違うという点。
私の行った授業では3人の先生の「よい」と思ったところ全てを参考にして、授業を行った(つもり)。
1回目の授業は本当に緊張し、また、失敗でもあった。自分自身が生徒だったらこんな授業は受けたくない。
私はエクセルの使い方の授業をしたのだが、まずは配布資料と同じようにデータを作ってもらい、エクセルへの文字入力方法を学んでもらう。
その後、そのデータを元にして簡単な関数を打ってもらい、エクセルの使い方を学んでいくことにした。
だが、まずいきなり失敗。データを入力してもらう時の指示が足りなかった。
「配布資料と同じように入力してください」
といったのだが、これだけではできないのだ。
セルの概念も大まかにしか説明しなかったので、(個人的には十分だと思ったのだが)戸惑う生徒が多かった。
この時は配布資料に画面をそのまま貼り付けたりして、どこに何を入力すればいいのか明確にしなければならない。そんな単純なことすら、やってみないとわからなかった。
アシスタントの先生が2人いてくれたからよかったものの、(本来は1人が授業、1人がアシスタントなのだが、私が授業をしているので2人アシスタントになっている)1人だけだったら教室は混乱していただろう。
また、関数の説明に関しても甘い点が多かった。例えば、一番簡単なsumを教える際にも、最低2回は同じ作業をスクリーンに投影するなどしなければ、全く分からない生徒については理解できない。
板書をうまく使う、注目してほしいときは「前を向いて」と注目させるなど、当たり前なのだができていないことが多かった。
指導教諭の先生がとてもやさしい先生だったので、そういったことをしっかり指摘してくれたので、研究授業では「これだったら先生になれるよ」と言っていただけたのが本当に嬉しかった。
人にモノを教えるということがこんなに難しく、また、やりがいのあることだと実感した瞬間であった。
教師は、学習環境のデザイナー。ヒト・モノをうまく配置し、学習環境を作る。アクターネットワーク論、状況的学習論的に考えると、とてもおもしろい職業であると思った。
私が恵まれたのは指導教諭だけではない。同じ実習生仲間にも、助けられた。
国語2人、数学1人、理科(化学)1人、美術1人、音楽1人、情報1人の合計7人が同時期に教育実習を行った。私以外はこの高校の卒業生だったので、色々とこの高校の文化などについて教えてもらった。
また、各大学の教職課程について教えてもらったり、お互いの授業を聞いて勉強しあったりもできた。
控え室の雰囲気がとてもよかったのは幸いだった。
1人、兄貴分のような美術の実習生がいた。27歳で一度社会に出てから美大に入ったそうだ。色々と人生の先輩の話を聞けたのも、またいい経験になった。
実習生は授業をしているとき以外は基本的に控え室に待機している。そこで教材研究や実習日誌記入などをするのである。
私は科目の特性上、コンピュータ室が空いているときはそこで1人だけで作業をしていた。スライドを作成したり、教案を作ったり…クーラーがあるのがこの部屋だけなので快適でもあった。
昼寝とかもできるし( ̄ー ̄)
本当はいけないのだけどね…。
実習日誌であるが、武蔵工の日誌は非常に楽である。指導教諭のコメント欄がないので先生の負担は少なく、学生も「今日やったこと」と「感想」の記入だけで済む。
他の大学の日誌を見せてもらうと、書くべき欄が多いので、これの負担が少ないことにはとても救われたと思う。(決して手を抜いてよい、よいうわけではない)
最終日、教育実習受け入れ担当の先生が、こうおっしゃった。
私くらいの年になると、後継者育成について考えることが多い。私の流れを持った、若い先生を育てたい。だから、ぜひみんなには先生になって欲しい。
と。
私の指導教諭も、同様のことをおっしゃった。
給料は同年代よりも、低い。
(部活などで)休日出勤しても、手当ては交通費の1000円程度。それであっても、やりがいのある仕事。私は大学を出て、教師になったんだよ。それはいきなり一人前の教師として認められるから。昔、イギリスでは優秀なオクスフォードやケンブリッジ出身の人は教師になった。企業に出たら何年も下積みだけど、教師だったら若くても、経験をつんだ人でも同列に扱われる、本当に”人”そのものが試される職業だから。
君は教師にならないと言っていたけれど、人にものを教えるということがどれだけ素晴らしいか、この教育実習を通して色々学んだと思う。
教職につくにしても、社会に出るにしても、多くの壁があると思うけれど、生徒たちの顔を思い出して、乗り越えていってください。
はじめの問いに戻る。
私が今まで受けてきた教育はなんだったのか。
それを再考するために、大学という制度の中で私は教職課程を履修し、様々な教職に関する科目を履修・合格した。
その教育実習もまた制度の中に埋め込まれていた。法制度の中で構築された高等学校は、様々なアクターに活動を決定付けられ、教育活動を行う。
きっと、実習に行かなければそれだけのものだっただろう。教師は制度の中で教育活動をし、生徒は制度の中で教育を受ける。それだけであり、それ以上でもそれ以下でもなかっただろう。
しかし、それは大きな間違いであった。私が見たものは、あまりにもリアルな、その場にいる人々の活動であった。大いに笑い、泣き、喜び、苦しむ、その場で生きている人々であった。
私が受けてきた教育とは、私が学校という場で得た全てのものである。
これが、私が出した結論である。
この高校で、指導教諭の先生や、受け持った生徒たちに会えてよかった。行く前は正直行くのが嫌だったが、今は心の底からそう思える。
機会があったら、遊びに行こうと思う。今度は「教師」という立場は、横において。
実習終了後、日誌の受け取りなど事務的なことを済ませ、前期の最後に教育実習事後指導会を行った。
私は小学校のときの友人に赤ちゃんが生まれたことですっかりその存在を忘れており、普通にサボった。おかげで800字の感想をメールで提出することになった。
出席した人によると、3分程度で感想を述べるだけだったらしい。それだけだったらやらなければいいのに…
以下、教職課程を履修しての要望・意見。
1.取得できる免許の数の充実
つまり、「情報」以外の免許取得を可能にするということ。
「情報」だけで教員採用をしている学校は私立以外にはほとんどない。ほとんどの公立高校が「情報」を含む、2つ以上の免許を持った人を採用し、その人を「情報」の科目に充てる、ということをしている。私立で非常勤なら枠はあるが、専任だとあまりない。
一応、工学部の授業をいくつか履修すれば「工業」「数学」「理科」の免許をもらえるようになるが、それを普通の学生に強いるのは難しい。02生に1人だけ数学を取りに行った人がいるらしいが…。せっかく教職課程があるのだからできるようになったほうがいい。
教師という進路選択の幅を増やすこともやって欲しいと思う。(この理由は就職率が高い武蔵工だと説得力に欠けるかもしれないが…)
2.教案作成指導の充実
これは私が教職課程を受けていてほとんどなされなかったこと。小池先生が「情報教育法 I または II」で少しだけ触れるのだが…。
はっきりいって、何も教えてもらっていないに等しい。
書式に関しても細かいことは何も言わない。「指導上の留意点」と「学習活動」の違いを説明するのみ。添削(というか模擬授業後のコメント)でも「もう少したくさん書いてください」だけ。一体何を書けばいいのか意味不明である。役に立ったのは事前指導会で「台本を書くように」といわれたくらい。例えば、「ログインができない生徒に対してのフォローをする」と書くなど。
同じ03生が、実習先の高校の先生に「何も教えてもらってないのか?」とものすごく怒られ、土日に小池先生のところに行って書いたというのは有名な話。
実習先の同期の大学は「教案の書き方」を教職担当の先生が授業外でやったり、添削してくれたり、いくつかサンプルを配布していたりしていたようだ。
結局、私は彼女の資料を元に教案を作ったのだが…それがなかったらどうなっていたのか、想像に難しくない。
小池先生が忙しいのはよくわかるが、せめて秀逸サンプルくらい配布して欲しい。できないなら、「ネット上にたくさんサンプルはあるのでググってください」とでも言えばいい。
3.実習中の定期券発行案内
ほとんど知られていないのだが、大学から所定の書類を発行してもらうと、教育実習中は定期券が学割で購入できるのだ。買うとしたら1ヶ月なのだが、もし3週間の実習になる人がいたらこれは非常にデカい。交通費がバカにならないからである。
(4以降は思いついたら追加)
辞めようと思ったこともあったが…教職課程を履修して本当によかった。
茶道部とのつながりはいまだにあるし、今まで特別な存在だった学校が、教師という立場を得ただけで全く違った存在になった。
実習の2週間は、一生忘れることはない。
【試験】
行わない。
評価は高校からの査定表、事前指導会&事後指導会の評価による。
ちなみに、私の評価は「可」。
事前指導会と事後指導会をすべて休むとこういうことになるらしい。
まわりでも「優」をもらっている人は少ないようだ。
…本当に教師になりたい場合、それだけでかなりのマイナスになる。そのあたり改善しなければ、武蔵工業大学環境情報学部の教職課程から教師になる学生は現れない気がする。
【追記と謝辞】
2007年3月19日に行われた武蔵工の卒業式後、この高校の茶道部の卒業生壮行会に招待していただいた。たった2回の稽古にしか顔を出さなかったにも関わらず、歓待していただいてとても嬉しかった。
また、実習中に指導していただいた2人の先生(教科指導、HR指導)にも卒業報告と、教員免許取得報告をさせていただいた。社交辞令かもしれないが、「君が教師にならなくて残念だよ。でも、就職する会社で立派に働いてください」と贐のことばを、2人の指導教諭の先生のほか、多くの先生からいただいた。
本当に、この教育実習をさせていただいてよかった。
送り出してくださった武蔵工の先生と関係者の皆様、
受け入れてくださった高校の先生と関係者の皆様、
そして1年2組と、茶道部の生徒の皆、ありがとうございました。