メディアとことば
英文科目名 | 担当 | 単位数 | 履修年度 |
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Media Expression | 清水由美子 | 2単位 | 2年(2004年度)前期 |
出席 | 試験 |
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3回ほど行った授業内感想票および履修者票への「○」チェックによる | 行わない |
【感想】
担当教授は清水由美子先生。
東京女子大学文学修士。城西国際大学人文学部講師を経て、環境情報学部環境情報学科講師、2002年4月より現職。
一言でいうと…クレオパトラ?不思議な髪型・不思議な服・そして不思議なオーラ。ときどきトボけたあとに「なんちゃって」とか言われると「不思議」以外に表現不可能である。そういえば入学当初、あざみ野で見かけてビビった記憶があるなぁ…。
授業は非常に興味深い。今期(2年前期)で受けた授業の中で1,2を争う講義であった。
講義はマクルーハンの理論である
伝達における受け手の感覚自体がメディアに応じて変化していき、さらにはそういった感覚の変容を遂げた人間によって構成される社会もそれに応じて変化していく
というものを軸に展開される。
例えば、声、文字、写真、映画、ラジオ、新聞、テレビ、インターネット、ケータイ、ワープロ。これらについて、マクルーハン理論に基づいてどのように変容を遂げているのか解説を加える。
この授業の素晴らしいところは技術面からメディアの発展を展望しないことである。あくまでも、主体は人間の感覚であり、そこからどのようにメディアが発展したか見ていくのである。
この学校の特性上、技術面からという見方がメインになりそうであるが、そういう中でこのような見方ができるということは素晴らしいことであると思う。一応、文理融合型の学部を目指しているだけのことはある。
なお、メディアの普及と社会を同時に履修するとさらに理解が深まると思う。
おまけ。
途中で教授の紹介で「長倉洋海」というフォト・ジャーナリストを呼び、特別講義を行った。(出欠はとらない)出席した数は30人ほど。出席がないと言っていたわりには多かったと思う。
講義の内容を一言で表すと「情報への付加価値について」であったと思っている。本当に客観的な情報など存在しない、客観的でいよう、とするならばそこの時点で主観が入っている。彼曰く、「人間」という視点を外したら情報は意味をなさない、と言っていた。
では、果たしてその情報はディティールを伝えているか。彼曰く、NOであった。
そんな話を体験談を交えて話してくれた。実際、現場に行った人間でないと聞けない話ばかりだったのでいい機会であったと思う。
しかし。
最後、質疑応答で「現在の人質事件について、自己責任という考え方もありますが、自分がその立場だったら助けて欲しいですか?」という質問に対して「助けて欲しい」という回答を示したのには辟易した。
確かに、日本国民である以上国家に保護を求めるのは当然のことであるし、パスポートには関係の諸官に通行上の安全要請しているが、それでも自分の信念で現地に行っている以上、それを唱えるのはいかがなものか。
所詮、その程度の信念なのであろう。最後の最後にこういう類の人間が嫌いになった。
【試験】
行わない。
評価はは3回ほど行った授業内感想票及び履修者表への自主申告チェック、(当然であるが前者の方が比重は高い)課題レポート2回による。
課題レポートは
同一対象を描いた絵(スケッチ)と撮影した写真とを比較し、
・同じところはどこか
・違いはどこか
を述べよ。
注意:実際に自分で作業をしてみた結果を基に考察すること。参考文献を用いること。
が1回目、
「〜の行方」
「〜」にはメディアを一つ選択する。
例:「テレビの行方」、「インターネットの行方」、「携帯メールの行方」等々。
技術的なことに主眼を置くのではなく、
・メディアの特性を分析する
・人間の感覚と、メディアの特性との相互作用に着目する
以上の要件を満たしたものにすること。
が2回目であった。両方、楽しみながらレポートが書けたので満足のいく講義であった。