或る新人・採用担当の思うこと

いま私は新卒採用担当をしている。この間までリクナビを見ていたのに、もうリクナビ管理画面をいじっているのが不思議な気分だ。


今月に入り、会社説明会を何度か開催している。かなり早い部類に入るが、採用戦略的に今からやるのが最善の方法と判断し、行っている。


この会社では、会社説明会後、一次面接の前にでも選考を行っている。作文提出によってだ。1000文字と少しハードルは高いが、それで
・文章構成力
・学生時代の活動
を見ている。また、一次面接は作文を元に質問をするので、面接官の質問づくりのタネになっている。


私も添削作業も行い、ABCDでランクづけも行っている。(Dは不合格)


立場が変わるだけで、とても客観的に見られるのが不思議である。この会社の作文のお題は
学生時代に取り組んだことを、具体的に述べよ
である。


ただそれだけなのだが、本当にいろいろな文章を書いてきてくれる。


素直にイシューに答えてくれればいいのだが、
・ひたすら研究の中身について述べていたり
・読書感想文を提出してくれたり
・社会人になったらもっとがんばります!と決意表明が書いてあったり
なかなか愉快なのだ。



ま、そんなことはどうでもよくて…



採用である以上、選考し、合格・不合格を選別しなければならない。この決定が、私にはまだ荷が重い。


私が作文で「D」をつけると、その人がこの会社に入る可能性がゼロに近くなる。
私が面接で「D]をつけても、その人がこの会社に入る可能性がゼロに近くなる。
(「近くなる」と微妙なニュアンスを使うのは、"D"の人は必ずペアの面接官と相談し、意見のすりあわせを行い、本当に不合格かどうか決定するから)



例えその人が説明会後などで雑談をし、いい印象を(私に)与えたとしても、どんなにいい性格がいいとしても、そこは非情にならざるを得ない。いくら大学の成績が優秀であっても、いくら学歴が高くても、この会社に合わないと判断したり、面接でしっかりとした受け答えができなかったり、この会社にいても幸せになれないだろうと判断したりすると、不合格にせざるを得ない。



私は先日、とある学生の作文判断を下した。その学生は会社説明会後の雑談でとても感じもよく、受け答えもしっかりし、真面目な学生だった。


ただ…
その学生の居場所は、間違いなくこの会社には無い。この会社には、その学生がいままでの人生で得てきたことを生かせる場所は、存在しないのだ。


もちろん全員が全員、学んでいることが直結するわけではない。同期でも、全く違う分野を学んでから入ってきた人も存在する。しかし彼らには、この会社の"社風"の中で学び・活動することができるであろう土壌がいままでの人生で培われてきているのだ。(これは成文化するのが難しいが…)


その学生には、残念ながら、それが無い。


作文の内容は読書感想文であった。内容は感銘を受けた本を紹介し、その登場人物のような人になりたい、と書かれていたものだった。



私の評価は「D」だった。
他の5人の評価者は、4人Dで、1人C。


…結論から言うと、その学生は「合格」にした。


そういう学生を、たった40kbのワードファイルだけで不合格にしてしまってはいけない。だから、その学生を合格にするよう、採用担当者の打ち合わせで願い出た。上司もそれを承認してくれた。


たぶん、その学生は一次面接で不合格になる。それは間違いない。


でも、同時に決まったことは、「その学生にこの会社と袖触れ合ったという事実をしっかり残してあげよう」ということと、「指導(というとおこがましいので"諭す"や"促す"がちょうどいいかも知れない)し、この会社の一次面接を踏み台にして、いい就活、さらには社会人人生、さらには人生を歩んでもらおう」ということ。





いまから就活する学生(YC生に限らず)は、たくさんの合格通知以上に、たくさんの不合格通知をもらうことになる。
その通知は、リクナビ上でやりとりされるものにすぎないと思う。


でも、その通知はそれ単体であるわけではなく、一部だけかもしれないが、採用担当は上のようなことを考えて決定している。それを知った上で、結果を受け止めて、就職活動をして欲しいと切に願う。



もうすぐ一次面接が始まり、5月まで日本を飛び回ることになる。どこまで上記のような丁寧な対応ができるかは未知数。特に2月は毎日都市を移動して採用活動を行うくらい大変になる。
だが、紙切れ一枚・面接の10数分だけで判断しないよう、選考をしていきたい。学生という1人の立派な人間と時間・場所を数十分でも共有するのだから。